女性は白い衣として洗礼式でベールを授けていただく。
授けていただく、と言っても、ベールは持参。
代母様がプレゼントしてくださることが多いとは言われるけれど、そういったことをご存じない方もいるし、自分で用意する場合も多い。
普段のミサでは被らなくてもいいし、被ってもいいし、教会によっていろいろのようである。確か、バチカン公会議のときに、自由になったって話だったと思う。
ちなみに男性も洗礼式で白い衣を授かるが、細長いソムリエのナフキンのようなものを、たぶん教会で用意してくださっているようだ。。。よくよく考えると、なんとも不公平。
でも、私のように、結婚していないものにとっては、ベールなど被るとなんだか花嫁になったような、小恥ずかし嬉しい気分になれる。
閑話休題。
ベールは、教会の売店で購入可。
教会の売店であっても、お値段は2000円ぐらいから10,000円を超えるものまでいろいろ。レースの質、国産・輸入物、模様の種類もいろいろ。色は黒いものもあるけれど、洗礼式のときは白が指定だった。
私は代母様が好きなものを買ってくださるとおっしゃって、一緒に見にいったので、
あまりお高くないもので、代母様がおススメされている感じのものにした。
(それはそれで気を使う)
薄めのレースで、先に花模様が付いている、オーソドックスなものだけど、
残念ながら、髪の毛でけっこうすべる。
洗礼式のときに、ヒラヒラして苦労したので、堅信式のときには、内側にヘアピンを装着したが、ピンが外れてしまってかえって失敗した感じだった。。。
2018年11月7日水曜日
洗礼の恵み
洗礼を受けるずっと前のことだけど、
精神的な意味で、神様の教えに背いてしまったことがあって、
ずっとずっと、早く赦しの秘跡を受けないといけないと思っていた。
どこで告解をするか、どうするのか、それで本当に赦されるのか、
いろいろ考えて、今は便利だからネットでも検索できて、
で、
お恥ずかしながら、最近になって気づいたのだけど、
(入門講座で何を聞いていたのだろうと思ったのだが)
洗礼を受けるということは、それまでの罪から解放されて、
新しい命を生きること。
なんと、洗礼を受けるときまでの罪は赦されていたのです。
罪からの解放。
目からウロコ。
洗礼の恵みを受けていながら、恵みの素晴らしさを理解していなかった私。
次に告解をするときには、そんな無知を赦していただくのかな。
洗礼を受けることによって得る恵みは、洗礼の儀式の中に、示されています。 父と子と聖霊の名によって、水を受けることは、罪を清め、神の子として新たに誕生することを表しています。
洗礼によって、すべての罪がゆるされます。 すべての罪とは、人祖が神に背き、その罪がすべての人に及んでいる原罪、洗礼を受けるまでにその人が犯したすべての罪(これを自罪といいます)、その罪の結果であるすべての罪の罰がゆるされるということを意味しているのです。
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